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ハイポ人気病院で研修を終えた感想

もう初期研修2年間も終わりです。

もうすぐ研修修了式です。はやいです。

2018年の4月を思い出してセンチメンタルな気分になってます。、ああ、、。

というわけでこの2年間の感想をつらつらと書きます。

いわゆるハイポと言われる病院で2年間を過ごしました。しかもそこそこ人気病院(全応募者数/採用人数>2)に運良くマッチングしたので、そこで2年間過ごしておもったこととかつらつらと書きます。研修病院名は匿名で書きます(すみません)が、書いてる内容からある程度は特定できると思うので気になる方は病院見学とかに来てください。

市中病院のプログラムなので2年間同じところで研修しました(地域除く)。

なので、比較対象がありません。5.6年の病院実習のときの記憶(地方国立大学病院、その関連病院(市中)、いわゆるブランドハイパー病院)を掘り起こしてます。ご了承ください。

良かったところ

同期が優秀

ぽっと出の地方民にとって東京の医学生はみんなキラキラしてみえたよ。実際にみんな優秀すぎてハゲそうだった。医学知識量が多い=優秀な研修医ではない、ことは理解としてわかっていたんだけど、やっぱり最低限の知識は必要だから「あれ?わたし、ヤバいじゃん!!」ってなれたのはよかった。あとは他の分野で頑張っている同期が多くて刺激になった。ハイポでかつ人気病院てなかなかレアだと思うんだけど、わたし以外の研修医は「他でやりたいことがある(研究etc)から、時間が取れるこの病院にした」っていう人が多かった。わたし研究とかしたことないし○○オリンピックとか出たこともないんだけど。あとみんなすごく要領良かった。そのまま地元に残ってたら出会えなかった人種のひとたちと会えたし、仲良くなれたので、それはすごく財産になりました。ハイポはハイポでも、ある程度ひとを選んでいる研修病院がオススメです。定員割れハイポ病院はあんまり受けなくて良かったって思っちゃった。刺激という意味では。

待遇がよかった

やっぱり人気病院なだけあって待遇が良かった、寮あるし、給料もいいし。地方から1人で出てきて親の力をかりず一人暮らしして割と豊かな暮らしができたので良かったです。2ヶ月に1回は地元に帰ることもできたし、親に仕送りしても大丈夫なくらいのゆとりはあった。

あと思ったのは、東京で医者になる人ってわたしみたいな経済圏のひとは少なくて、みんな比較的豊かなんだなあと思った。だからもしわたしが今より給与の低い、待遇わるいところに行ってしまったら、同期の裕福なひとたちと比較して生活がカツカツになってとても劣等感が生まれたかもしれないなあ、知らんけど。

上級医がちゃんとしていた

「ちゃんとしていた」は、どのレベルから?って感じですが、まあまあ大学病院から先生が医局派遣で来ていたし、研究してる人も多くて、上級医クラスの先生方はまあわりとよかったのかなあと思います。研修医からみてもビックリするような突拍子もないことをいう人はいないとおもいましたが、大学病院と比べると…???だし、ハイパーブランド病院にいるようないわゆる教育的でガツガツした上級医の先生はいなかったので、そこと比べるとまだまだかもしれないです。わかりません。

少なくとも研修医からはとても頼りになる先生方だったので、良かったです。あと病院全体がハイポめだったからか、理不尽に怒る人の割合は少ないように感じた。

手技はそこそこできた

市中で人数も、そこまで多くなかったので、手技もいろいろできました。まあわたしは「とりあえずひと通り一回経験できたらいいかな(初期研修で極めるつもりなし)」くらいで、研修医同期もそんな感じのスタンスだったので、楽でした。手技の回数とかで比べてくるひといなかったし。笑

取り合いにならないand大学病院よりも敷居が低い、という点では良かったかな。ただもっとガッツリ経験を積みたい!!!!とかだと、東京じゃなくて地方の研修病院のほうが手技はできると思います。東京は初期研修医が守られているしいろいろ厳しいので。

内科ローテーションで症例集めができた

いや、マイナー科を考えていた自分内科全科まわってくれててありがとう!!!GJ!!!ってかんじです。新専門医制度的に内科専攻医は初期研修でいろいろ内科まわってたほうが楽ですね。あーよかった。

悪かったところ

基本放置プレイ

同期が優秀だからか知らないけど上の先生もわりと放置プレイをきめてくるんですよね。教育体制は不満でした。屋根瓦式などもなし。まあ聞いたら教えてくれるんですけど、1年目の最初なんて右も左もわからないし、とくに最初の救急外来とか「まあ好きにやっていいよby上級医」って、ええ???わからーん!!!って感じでした。結局何もできることなくって鬱、みたいな。あー私っていらない子だなあって思ってました。今思うとそんなことはないし新しい職場+自己肯定感の低さで鬱になってただけなんですけど、ただ「教える文化」があるかどうかっていうのはあるかなって。いわゆるブランドハイパー病院が持ってる「○○(自分の病院の)マニュアル」とか羨ましかったです。1年目はここまでやっていい、2年目になるとこれができる、っていうステップアップも当院にはなかったので、2年目当初は「結局1年で何ができるようになったんだ…」ってなってたし、今は「結局2年間で何ができるようになったんだ…」って感じです。実際のところは、アセトアミノフェンすら処方できなかった、ルートすら取れなかった、あの頃に比べるといろいろできるようになったはずなんだけどね。

研修医は主治医ではなく担当医ポジション

これは良かったところでもあり悪かったところでもあると思ってます。が、どちらかというとデメリットがメインで書こうと思います。

研修医が主治医ではなく担当医である(要はチーム制)、ということはハイポであることとつながるんですよね。基本的に上級医の管轄下で診療がすすんでいくので初期研修医がやることが少なかったです。書類仕事かオーダーか小間使いくらい。指導医の先生と一緒に回診したりカンファレンスしたりで治療方針とか一緒に決めてる風なんですけど、結局は外来フォローするにも上の先生の患者さんだし、あんまり手出しすることは出来なかったです。それなりに勉強にはなったし、それは楽でしたが、やっぱり自分でやらないと覚えられない部分とか、得られないやりがいみたいなのってあると思うんですよね。少なくともわたしは。

できるレジデントだと「この患者さんは○○だと思うので自分は▲▲した方がいいと思います」とか主治医の先生に言えると思うんですけど、わたしは言えなかったです。むしろわたしがみているのは「患者さん」でなくて「上級医の先生」なのか?って感じで一歩引いて気を遣ってました。今考えるとよくなかったな。「自分はこう思うのに」っていうことがあったとしたら、上の先生と議論することが自分の成長のためだし、ひいては患者さんのためになったのかなあと思います。院内カースト下位の初期研修医がそんな上級医に偉そうにするなんてよくないかなあ、ていう心理的ハードルがあったんですけど、そんなんでキレる上級医だったらそもそも大したことないし(二宮和也理論)、初期研修医なんて医学部で言うぴよぴよ1年生なんだから、無駄なプライドや自己肯定感の低さは捨てればよかった。

チーム制で良かったところとしては、指導医の治療をずっとみていた感じなので、下手に間違った治療を覚えなくてよかったのかなあっていうところです。あと有給がザルみたいに取りやすいところ(全部消化した)。

2年間を振り返って

総評は「概ね満足」でした。

まあハイポ病院を選んだのは自分だし、人気病院だったし、運良くマッチングできて、2年間終えられて、それだけでももうじゅーぶんハナマルって感じです。同期に恵まれたのも、実際のところは人気病院だったからとかではなくってただ単に運が良かったんだと思います(ひとつ上の代は仲が悪かった)。当初は「ハイパー病院の方が良かったかなあ(※ハイパー病院もマッチング試験で書いてはいた)」なんて思っていたけど、変にハイパーなところに行かなくてよかったなあって思いました今となっては。全て今となっては、ですけど。きっとハイパー病院にマッチしてたらマッチしてたで「2年間サイコー!!」とか言ってたかもしれないしわかんない。

あと人に恵まれた弊害としては結局学生のときに考えていた進路を転換してしまって、マイナー志望から内科志望として研修病院に残留することになりました。吉と出るか凶とでるか。「この時代に内科行くなんてすごいね!」っていわれたりもしますが、いやほんとだよ何を血迷ったか?って2年目の夏の自分に問いたい。まあそれほどまでに魅力的な人の引力ってすごいなあと思いました。悩みはするけど悔いはない。とりあえず。そう考えると「初期研修2年間で医師人生が決まる」っていうのはあながち間違いではない、のかもしれない。

おわりに

2年間たのしかったって思えることができて、とても運が良かったです。同期が離れ離れになるのはとてもさみしいです。もし特定できたらお問い合わせフォームからメールください。以上です。